夏休みも終わり。
今年も子どもたちにはがっつりと夏休みの宿題が出ていましたね。
最近、このようにとても強く思うのです。
夏休みの宿題が日本人の幸福度を下げているのではないか?と…
小学生の夏休みの宿題
私が小学生の時も夏休みの宿題はありました。
もう30年ほど前の話です。
内容的にはプリントやワークに加えて、読書感想文とか自由研究とかがありましたから、今と大きく変わっていないと思います。
今年は小学生の宿題がなんと減っていました!
プリントやドリルはありますがそこまで量がないですし、自由研究は6種類の中から2つを選択すればよいというかたちに変わっていました。「読書感想文」「理科」「社会」「図工」「書写」「家庭科」の6種類です。そこから2種類以上すればよいので、すごく楽でした。
そして、自分学習といって自分が好きなものに取り組んでまとめるものが10枚。
いわゆるお勉強という内容から、自分が取り組みやすい内容に変わっていてとてもいいと思いました!
今年の4月から、毎日あった漢字ドリルと計算ドリルの宿題がなくなったんですよね。
そして、自分が好きなものに取り組む「自分学習」というものにかわっています。
最初は勉強する機会が減るから心配でしたが、次女はこれで絵を描く機会が増えました。
そして、それはLINEスタンプを作るまでに発展していきました。
LINEスタンプに申請をしたら承認されて一応販売もされています。
もちろん、私以外に買う人はいないのですが、貴重な経験をさせていただきました。
個人の趣味程度ですが、いわゆるお勉強から解放された賜物かな、と私は思っています。
中学生の夏休みの宿題
中学生の夏休みの宿題…これが幸福度の低下につながる、と考えさせられるきっかけです。
とにかく多い!
自由研究やお弁当や技術家庭科は生活に直結することですし、生きる力を養うことにつながりますから、まぁ目をつぶれます。
ワークやドリルも受験のために必要ですから、仕方がないかな、と思います。
ただ、習字に読書感想分にさらに作文系、水泳に関するレポートなど、これらが毎年毎年本当に必要なのか、と思うのです。
中3もがっつりとそういう感じで宿題が出ていますが、中3ぐらいやめてあげればいいのに、と思います。それをしたからって何か利益があるんですかね。それをなくして、その分勉強の合間のリラックスタイムに充てさせてあげる方が効率が上がるように思いますが。
私には、ただ子どもたちを追い込んでいるようにしか思えないんですよね。
文章を書くということに取り組ませたいのであれば、それは学校の授業の中でやっていただきたいのです。
だいたい小学校1年生から読書感想文の宿題が出ますが、誰もできませんよ、小学校1年生の子は。
夏にはまだ字も書けない子もいるレベルですから。
親が関わらないと絶対にできません。そもそも学校で読書感想文についてしっかりとした指導がないのにできるわけがありません。
なんでこんな宿題が脈々と受け継がれているのかがわかりません。
もう定番だから、という理由だけなんだったら希望者だけにすればいいと思います。
アンチ読書感想文派の人が世の中にどれだけたくさんいるのか、把握できていないとしか思えません。
アメリカでは論理的に人に伝える技術を学校で叩き込まれますよね。スピーチをしたり。
そうしたら読書感想文なんて簡単に書けるようになるらしいです。
要は思考をどう段取りしてアウトプットしていくか、という方法を学校でしっかりと教えてくれますから、親が指導する必要はないわけです。
本が好きで本を読む子は、書くということもまだできるかと思いますが(どちらかと言えば自分がそちら寄り)、長女のように読書大嫌い・勉強大嫌い・細かいことするの大嫌い・自分の嫌なことするの大嫌い、という子もいるんですよね。
わが子ながら、この激しい抵抗にもう困るのを通り越して、最近は尊敬の念を抱くような感覚になってきました。
我が子は読書感想文なんて一人で取り組めません。ただ、学校の授業の中でするレポートは低レベルながらもなんとかかんとか書いているようなんです。ということは、低レベルながらも一応文章は書けるようにはなってきているんです。
しかし、人権や読書感想文を原稿用紙4枚、自宅で、資料は自分で用意して、となると、これは一人では厳しいです。
苦手なことをここまでさせる、ということは、自己肯定感を下げることにつながると思うんですよね。
その分、長女は体を動かすことやおしゃれ系は得意なんです。
ですので、私としては苦手な読書感想文や作文に何十時間も費やしながら頭を抱えて貴重な10代の夏を過ごすよりも、海や川で泳いだり、ネイルやメイクを自分で100均コスメで何回も試してみたり、それを動画に撮って編集してみたり、そういうことをする方が彼女にとって生きる力になると思うんですよね。
私は親にあまり物を与えられずに育ちましたし、勉強も嫌いではなかったので、自分で勉強や宿題をすることができたのですが、めっちゃダサかったし世の中で流行っているものを全然知らないタイプでした。
長女は私と正反対のタイプです。勉強はからきしダメですが、おしゃれやインテリアに興味があって、流行に敏感なタイプです。
その彼女に今まではあくまでも自分で考えさせて書かせるように努力してきましたが、あまりにも大変すぎて、私にとっても子どもの夏休みの宿題って本当にストレスで負担なものになってきていました。
何年か前は、お金を出してプロに指導をしてもらいましたが、まぁ大きな成果はなかったですね。
そして、今年、いろんなお母さんが「あの大量の宿題、もうやめてほしい」「作文や読書感想文、意味ある?もうやめてほしい」「うちは今年は親がすることにした」などなど発言しているのを聞いて、私は「今年は子どもの代わりに私がして、あの子の負担を減らそう」と思いたちました。(よい子のみなさんはまねをしないようにしましょう)
もう数日で学校が始まる、というところまで待ちましたが、どう考えても間に合いそうにありませんし。
私が代わりに人権作文と読書感想文をしたらどんな影響があるのだろうか、と考えました。
いろいろ考えました。結果、「別にええやん。人生に恐ろしく悪い影響を及ぼすことはない」と判断しました。
もちろん、作文や読書感想文が子どもに大きな成長をもたらすこともあります。
私もたまに賞をとっていましたし、そうするうちに「私は書くことが得意な方なのかな」という意識も芽生えていきました。
本をあまり読まない子には読む機会になるかもしれません。
しかし、うちのような頑固者は絶対に読みません。
もうお手上げ状態です。世の中にはそういう子もいるのです。そして、逆に考えると「今の世の中、本を読まなくても生きていけるんじゃね?」とも思うのです。
私も最初は勉強も宿題もしないわが子に対して、叱り飛ばしていましたが、最近は現実逃避なのか私が成長したのかわかりませんが「これには何か意味がある」と思うようになってきました。
そして、読書感想文と人権作文を書き上げた後、私が書いたものを読ませました。すると、長女はほっとしたようなはにかんだような笑顔で私に「ありがとう」と珍しく素直に言いました。
私は「その分、夏休みを楽しんで」と言いました。
私も自分が代わりに宿題をしたことによって、長期間の苦痛とストレスを味わわずに済んで心安らかに過ごすことができました。
これって、コロナの時にも似たような状況がありました。
コロナで学校が閉鎖になった時、自宅に大量の宿題のプリントが送られてきました。
先生も大変だったと思います。A4の封筒の厚みが5cmくらいありました。
そのプリントには、うちの子たちがとてもじゃないけど自力で解けないような問題がたくさんありました。
中には音楽までありました。
習っていないところを、プリントでしなさいってことなんですが、そんなことうちの子たちには難しすぎます。できなかったらまた学校で先生とします、って書いてありますが、こんな大量のプリントをそのまま白紙で持って行かせることもできないため、できる範囲でしていきましたが、仕事をしながら学校の授業を母である私がこなすことの大変さは筆舌に尽くし難いです。
もう〜、めちゃくちゃ大変でした。その時に、「この国、変やな」と思いました。
一人でできる子はいいですけどね。そうじゃない子、たくさんいるんです。
日本って本当に素敵な国でもちろん大好きですが、変なところも多すぎます。
世界的に見て、日本のように親が学校の教育に関わらざるを得ない国ってあまりないみたいですね。
だから、日本のお母さん(お父さんも)は大変でかわいそう、ってよく言われています。
日本は幸福度が低い
世界の幸福度ランキングの1位はフィンランドです。
1位から5位までは、「フィンランド」「デンマーク」「アイスランド」「スイス」「オランダ」となっています。北欧圏が多いですね。
ちなみに、日本は、というと54位です。
50位から59位を順番に列記すると「クウェート」「ハンガリー」「モーリシャス」「ウズベキスタン」「日本」「ホンジュラス」「ポルトガル」「アルゼンチン」「ギリシャ」「大韓民国」となります。
私には、この夏休みの宿題こそが日本の縮図であるという感じがするのです。
フィンランドとオランダに友人がいるのですが、共通しているのは夏休みの宿題がないことです。
そして、夏は家族でバカンスを思いっきり楽しむ、というところです。
バカンスで思いっきり楽しむために、みんな仕事をがんばっています。
子どもも大人と一緒に思いっきりバカンスを楽しみます。
それも最低2週間はがっつりと楽しみます。なんたってそのために普段がんばっているのですから、気合いが半端ではありません。
夏休みの宿題なんてあろうはずがありません。
夏休みの宿題を出したら、間違いなく大問題になるでしょう。
1年に1度、そういう羽を完全に伸ばせる期間があると想定してみてください。
日本ではどうでしょう?常に何かに追い立てられているか、もしくは、そこまで羽を伸ばせる期間がない人も多いでしょう。大企業にお勤めの方はGWやお盆、シルバーウィークなどもあるかもしれませんが、毎年10日以上連続してお休み、というわけではありません。
バカンスが絶対毎年ある、となると当たり前ですが、10年で10回、20年で20回、40年で40回あるわけです。
その間は何がなんでも絶対に解放されて楽しむのです。
そういうのが日本にはないなぁ、と思うのです。
日本は子どもの頃から、休みの間もすることがたくさんあってがんばらないとだめ、っていう環境が身にしみていてそれが当たり前になっています。
それが、日本人の感覚になっています。もちろん大人になってもそうです。
でも、オランダなんて夏休みだけでなく普段から宿題そのものがないですが、教育レベル、めちゃくちゃ高いです。
休みなしにがんばることが必ずしも良い結果を産むわけではない。
むしろ、休みをいかに確保していくか、こちらの方が大切だと思うのです。
音楽で言えば、音がずっと続く曲はありえない。休みがあるから音が生きる。
踊りもそうです。ずっと動きっぱなしというよりは動と静、静と動が繰り返されて、双方がより生きてくると思うんです。
スポーツだって休息とかメンテナンスがめちゃくちゃ大切です。
日本は、この休養、メンテナンス、静の部分の取り方に課題があるような気がしてなりません。
もちろん、今までの歴史上このようになっているのでしょうが、時代が変わってきていると思います。
夏休みの宿題、いっそのことなくしてみませんか?
自由選択制にすればいいと思うのです。小学校のように。
作文や絵などコンクールとかはあってもいいと思いますが、全員強制というのはなくしたらいかがでしょう?
その代わり、自分が好きなこと、したいことはとことんやるようにしてそれは報告または提出するようにする。
これからの時代、生きていくのがもっと大変になると思います。
仕事も自分の好きなことをする、というスタイルは大切になってくるのではないかと思うんです。
だから、自分の好きなことは何か、したいことは何か、勉強と同じくらいここの部分は大切だと思います。
好きなこと、したいことが見つかっている子はいいですが、まだ見つかっていない子にはここをとことん考えさせる必要があると思っています。
子ども達自身がよりよく生きていくために。
考える、というよりはフリーな時間を作らないとダメですね。
きっと、ぼーっとしている時の方がいろんなことが降りてくるでしょうから。
ぼーっとする時間を確保してほしいです(笑)
高校受験をなくしてほしい
夏休みの宿題と同じくらいなくしてほしいのが高校受験です。
アジア圏では受験制度の国がありますが、日本も受験制度のある国です。
これも幸福度を下げる一因になっているような気がするんですね。
欧米圏では、電話やネットで申し込んでOKなら入学、という軽〜い感じです。
その代わり、専門性が高く、学校に入学してからは頑張らないとダメです。
だから学校選びは重要です。
日本は、中学から高校に上がる受験の時に、部活や習い事などをやめて、塾で勉強して、というのが当たり前となっていますが、なんだかもったいなさすぎるんですよね。
一番体も動いて感覚も研ぎ澄まされているいい時期に、受験勉強のために好きなことや打ち込めることをやめなければならないことが。
そして、勉強嫌いの子が勉強しなければならないという状況そのものが。
夏休みの宿題と受験制度をなくしたら、それはそれで問題がいろいろとあるでしょうが、その子たちが大人になって、さらに30年、40年と経った時に、世の中がどのように変わっているか。
今の日本は、細かい部分は変化していっていますが、大きくは30年前とほぼ同じな感じがします。
受験制度もかつては必要だからあったのだと思うのですが、少子化になってきている今、どうでしょう?
オランダやフィンランドの話を聞いていると、本当に取り残されていくように感じることがあります。
・現金はもうない
・紙はもうない
・PTAはあるが、希望者だけがFacebookで繋がれるようになっている(もちろん毎月の徴収もない)
・無駄な贈りものや記念品はない
・部活はない。代わりに地域のクラブなどに参加する形になっている→学校の先生の負担が少ない。そのクラブ活動費は補助が出ているため、保護者の経済的負担は少ない。
・看護師のお給料は日本のように安くない(今回の記事と関係ありませんが)
今、断捨離というものが流行ってて、私もがっつり取り組んでいますが、子どもの教育の断捨離、真剣に考えていただきたいと思います。
大事なことは「今必要なものかどうか」、今を基準に考えるということです。
夏休みの宿題や高校受験制度がなくなるからと言って、それが日本の学力低下につながるか、というとそうではないと思います。また、勉強以外でも、個人がそれぞれに輝けるものを持っていたらそれは勉強ができること以上に価値があることです。
夏休みの宿題や受験勉強が減って、日本の子どもたちが生き生きと自分の人生を生きていけるようになりますように。
そして、大人も子どもももっと伸びやかに過ごせる国になりますように。
読んでいただいてありがとうございました。
コメント